第五話 いそぎんちゃく

6.逃走


 老漁師と5人の若者が『いそぎんちゃく』から逃げる事に成功していた。 彼らは焚き火していた場所に

辿りついて、荒い息を静めていた。

 「じ、爺さんよ。 あいつらは追ってくるのか」

 「んなこと、知んねぇだ……」

 ホロホロホロホロ……

 『いそぎんちゃく』の声に、彼らは弾かれたように立ち上がった。

 ホロホロホロホロ……

 声はかなり遠くから聞こえ、ふっつり途切れたかと思うと、今度は別の方角から聞こえてくる。

 「お、俺達を探してるんだ」

 「逃げるんだ!」

 「どこへ!」

 「今は駄目だぁな」 老漁師がぼそりと呟く。

 「なんでだ!」

 「風が強くなって、海さぁ荒れてる。 船出すなぁ死に行くようなもんだ」

 「海に逃げるこたねぇだろ! 陸伝いに逃げれば……」

 「お前ら何言ってるだ? ここぁ小島だど」

 「なにぃ!?」

 「おら、流れ着いたときに一回りして見たべ。 人も住んでねぇ」

 二人の若者がへなへなと座り込む。

 「なんてこった……」

 「あきらめるな! 爺さん、陸までのどのくらいあるんだ」

 「わかんね」

 「あんた漁師だろう! 近くの海や島には詳しいんじゃないのかよぉ!?」

 老漁師はゆっくりと首を横に振る。

 「おら、こんな島知らねぇ。 随分遠くに流さちまったもんだって、途方に暮れてただ」

 一同の間に『絶望』という名の沈黙が流れる。

 ホロホロホロホロ……

 遠くで『いそぎんちゃく』が鳴いていた。


 「海だ! 一か八か船で逃げよう」

 「あんな小船で海にでたら死んじまうよ。 それより向こうに見える丘! そこで嵐が過ぎるのを待とうぜ」

 「『いそぎんちゃく』に見つかるぞ!?」

 「『いそぎんちゃく』と言う位だ、水辺から遠く離れられない……だろう」

 「だろう!? ざけんな!」

 若者達は不毛な言い争いを続けていた。 どちらの意見も感情的なもので、妥協点がない。

 「爺さん!? な? あんたならこの程度の嵐……」

 「船を? ま、確実にあの世行きだぁな」 老漁師はあきらめた様な口調で言い、問いかけた若者は、怒りに

顔を紅潮させて地面を蹴飛ばした。

 「畜生!」

 「おい、待てよ」 日の丸デザインのウェトスーツの若者−−ジャパン−−が口を挟む。

 「爺さん、あんた漁師だろう。 確実にあの世行きは情けねえぜ」

 「あの船に全員は乗れねぇ。 せいぜい三人だ」 老漁師は淡々と言う。 「ここにゃ六人。 三人残るだか?」

 「あ……」

 「何人か海さ入って、船縁につかまりゃ、全員運べるだ。 お前ぇらぁゴムん服着てるだから、しばらくは大丈夫だ。 

だども嵐ん中だし、いつ陸に上がれるか判んねぇだ」

 若者達は互いの顔を見合せる。

 「……お前、丘の上に隠れるっていったよな」

 「置いてく気か!? そりゃねぇぜ!」

 不穏な空気が辺りに流れた……


 「こうなりゃ一蓮托生だな」

 結局、老漁師に命を預けて、全員が船で逃げだす事になった。

 一行は耳を澄ませ、辺りを見回しながら海岸に戻る。

 「『いそぎんちゃく』はいないぞ」

 「今のうちだ」

 彼らは早足で砂浜を横切り、老漁師の船に駆け寄った。 途中で、濡れた海水パンツが落ちているのに気が

ついたが、あえて無視する。

 「急げ」

 古めかしい木造の漁船……と言うよりボートに手をかけ、一気に白波の立つ海に押し出す。

 「掴まれ!」 

 荒れる波がへさきで砕け、船を押し戻そうとするのを、老漁師が櫓をこいで強引に進める。 船縁に掴まっている者も、

足で水をかいて協力する。

 「逃げられた……」

 ほっとした一同、その注意が島の海岸に向いた。

 ホロホロホロホロ……

 「でたぁ!!」

 船の上に『いそぎんちゃく』が忽然と出現し、間髪を入れず老漁師と船の上にいた若者が海に飛び込んだ。 船縁を

掴んでいた者も、慌てて水にもぐる。

 ホロホロッ……

 『いそぎんちゃく』も姿を消し、無人になった船が波にもまれだす。 その船縁に濡れた手がかかる。

 「ぶはーっ!」 ジャパンが船に這い上がり、続いて老漁師、そしてイギリス国旗のウェットスーツの若者−−ジャック

−−が這い上がる。

 「他の連中は?……」

 三人は辺りを見回し、海岸に這い上がる人影を見つけた。

 「あそこだ! 爺さん、船を戻……あっ」

 ジャパンが振る返っている間に『いそぎんちゃく』が海岸に現れていた。 海岸に上がった三人は、海と反対の方向に

逃げていく。

 「爺さん……」

 「もう戻るのは無理だ。 このまま助けを呼びにいくだ」 老漁師はそう言いきって、櫓を握る手に力を込めた。

 「……」

 ジャパンとジャックは、無言で手近にあった器で船に流れ込む海水をくみ出す。

 船は波にもまれつつ『いそぎんちゃく』の島から離れていく。


 「置いてきぼりかよ!」

 「しかたねぇ、お前の案に従って丘の上に逃げるぞ!!」

 三人は草原を駆け抜け、小高い丘を目指す。 時折『いそぎんちゃく』の声が近くであがるが、すぐに遠ざかる。

 「ははっ、こいつはいいや。 奴ら動いている人間は襲えないんだ」

 「で、でもよぉ。 いつまでも走れねぇ」

 「がんばれ、すぐ丘だ」

 必死で走った為か、三人は『いそぎんちゃく』に掴まることなく、丘の上に達した。

 「お前はそっち、おれはこっちを見張る」

 「目、離すなよ。 『いそぎんちゃく』が来るぞ」

 三人は三方に目配りをして『いそぎんちゃく』を警戒する。 と、一人が荒波にもまれる船を見つけた。

 「ジャパンとジャックだ! 畜生! 遭難しちまえ」

 「馬鹿! あいつ等が遭難したら、俺達は島流しだ!」

 二人が言い合っているうちに、辺りを見張っていたもう一人が、妙な事を呟きだした。

 「あそこに流れ着いて……こう来て……あれがそれ……」

 「何ぬかしてやがる? 寝るなよ!」

 「いや……まさか……まさか!?」

 ホロホロホロホロ……!!

 「うわっ!?」

 突如『いそぎんちゃく』の鳴き声が響いた。 今までとは段違いの大きな声だ。

 「どこからだ!?」

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